大和重工株式会社

乾式ホーローへのチャレンジ

乾式ホーローへのチャレンジ

ドイツで乾式ホーローとの出会い

昭和42年(1967年)7月、私はドイツのホーロー工場にいた。
「ドイツで、湿式ホーローを焼成する回転炉を見てこい」社長の突然の一言だった。
すぐに各商社に頼み込み、ドイツ・スイス・フランス・イタリアをめぐる14日間の出張が決まった。回転炉を見てこいと言われた私であったが、いざドイツに来てみれば別のものに強く惹かれていた。「乾式ホーロー」である。

その頃の大和重工では、浴槽の表面に泡が現れる原因不明の現象に悩まされていた。
クレームも多く、営業マンからは「営業どころではない、補修係だ」と皮肉を聞かされたものである。泡の発生原因について、社内では湯が悪いとか焼成炉が悪いとか、いろいろ意見が飛び交ったが、結局のところはさっぱり焦点すら絞られずに悩んでいた。

ドイツ出張はちょうどそのような折に飛び込んできたのである。
ドイツのホーロー工場では、2輪車を使い二人がかりで炉に浴槽を出し入れしていた。
乾式ホーローのやり方にも驚いたが、出来上がった浴槽の美しさに愕然とした。

大和重工の湿式ホーローとは全然違う、飴を流した様な滑らかさ。泡も見当たらない。
太刀打ち出来ない、と一目で感じた。美しさの次元が違う。
私は、「乾式ホーローを提案しよう」と心に決めた。
当初の目的であった湿式ホーローの回転炉のことは、もうすっかり頭になかった。
湿式ホーローで行き詰まっているとき、それほど乾式ホーローに胸を打たれたのである。

日本へ帰国後、乾式ホーローへの挑戦

日本に帰国して社長室に行き、いきなり乾式ホーローのすばらしさを伝え、
「湿式をやめ乾式に切換えたい」と報告したが、返事がもらえなかった。それどころか、ひどく叱られた。
出張目的の湿式用回転炉の報告をそっちのけで報告したからである。
それでもめげずに「乾式の試験をさせてほしい」と申し出た。
いけないとは言われなかったので、即試験の準備に取り掛かった。
準備するものは粉を振る回転装置と篩(ふるい)で、エアーバイブレーターは購入すればよい。
回転装置はセメントミキサーを改造すれば簡単にできる。

装置が出来上がるまで居ても立っても居られず、自分の手で試してみることにした。浴槽に湿式上釉薬を吹き付け、直後のまだ釉薬がねばねばしている時期に、上から乾いた釉薬粉を手で篩を叩きながら薄くふりかけてみた。湿式と乾式のミックスである。焼成して見ると、乾式で薄くふりかけただけでも外観はかなり良くなった。
滑らかで泡も少ない。全員で喜んだ。
釉薬をわずかに厚くすることで、これほど外観が変わり、泡が抑えられることを全員で思い知った。
本当に全員活気づいた。

すぐに社長に報告し、試験計画について正式な許可をもらった。
試作した湿式乾式のミックス製品は、常務、役員、営業関係者が見に来られた。そして、資材部長と技術部長は、「早く切り替えられるよう必要なものがあれば何でも言って来い」と言ってくださった。皆が一丸となって試験装置に取り組んだ。
乾式試験装置の準備もでき、試験1回目の釉薬の伸び具合を見て、2・3回目の焼成時間を決めた。3分以上焼いたように思う。良い製品ができた。
前回テストと同様に全員で検証した結果、大至急乾式ホーローに切り替える事が決まった。それからは社長も毎日のように来られ、「早く切り替えるように」とハッパをかけられた。

大和重工の浴槽が乾式ホーローに切り替わったのは、昭和42年11月。
ドイツから帰社し、約3ケ月後のことだった。