ABOUT

大和重工創立100周年。
その背景には、先人たちから受け継いだ熱い想いと、確かに良いものを作り続ける技術があります。
時代の変遷と共に形を変え、一方で決して色褪せない部分も持ちながら、大和重工の製品はお客様の暮らしの中で生き続けています。

私たちは、これからも鋳物づくりの原点を大切に、そこに新たな感性を加えつつ、世界中の人に「驚きと感動」をお届けできる製品づくりに挑戦していきます。

機械を操作する作業員:私たちの技術は、きっと未来を拓きます。

GREETING

大和重工がこの度創立100周年を迎えられたことにとても感動しています。
お客様やステークホルダー、地域の人々はもとより、我々の先人、社員の皆さん、そのご家族の方々の御尽力の賜と深く感謝をしています。
当社は、お蔭様で1831年に創業してから今年で189年、会社創立からは、100年を迎えました。
私たちはこれまで培われてきた実績や歴史の重みに誇りを持ち、これからも皆さんと共に、全社一体で確実に後進に誇れる歴史を刻んでいきたいと思っています。

創業200周年(2031年)、さらには次の100年先を目指して社員が幸せで潰れない強い会社づくりに飽くなき挑戦をしようと思いを新たにしています。

  • 伝統と技術を、「伝えて、守って、発展」させる
  • お客様に技術・商品・サービスで「感動」や「驚き」を与え、企業として発展し続ける
  • 社員が誇りを持てるような企業づくり
  • 社員一人ひとりが輝いて仕事ができる環境づくり

この4つの「めざす姿」をぜひ実現していきたいと考えています。
鋳造技術をベースに、強みを活かし、更に色々な技術を磨き、次の100年も
「鉄に向き合い、人を豊かに」するべく全社一体で邁進していきましょう。

最後に
人間は、驚き、感動し、輝くために生まれてきました。そして、幸せになるために日々暮らしています。
仕事や職は幸せになるための一つの手段です。
しかし、私はこう思っています。
大和重工で働き、それぞれの立場で学び、挑戦することを通して、一人ひとりが輝いて欲しいと。そして、お客様や社会に、技術と商品やサービスで「感動」や「驚き」を与え、皆さんもそれによって感動し驚きを得て、幸せになってもらいたいと・・・ 深く願っています。

代表取締役社長
代表取締役社長 田中 宏典
staff voice

STAFF

HISTORY

1920年〜
1920年瀬良商工株式会社

瀬良嘉一はさらに事業拡張を図るため、これまでの瀬良商店を株式組織に改め、資本金50万円で瀬良商工株式会社を設立。本社は広島市広瀬町においた。主要事業は鍋・釜・風呂釜・ 鋳物機械などの製造販売

1926年

貸本金6万円に減資し、瀬良嘉一退任、田中保社長就任。
本社を広島市広瀬町 から現住所(広島市安佐北区可部)に移転

1930年

口径八尺(約242センチ)の大羽釜出荷の光景

1934年

田中保死去
最後まで無給の社長であった。
田中恭造社長就任

1937年

日産5000トンの再生炉1基を建設

1939年大和(ヤマト)重工株式会社

資本金51万円に増資、機械工場を増設。大和(ヤマト)重工株式会社に改称

1940年〜
1944年大和(ヤマト)重工業株式会社

株式会社観音鋳造所を吸収合併し、観音工場と呼称。資本金165万円に増資し、大和(ヤマト)重工業株式会社に改称

1945年大和(ダイワ)産業株式会社

大和(ダイワ)産業株式会社に改称し、新たにスタートする

1950年

大和(ダイワ)商事株式会社を吸収、資本金550万円に増資。このころから船舶用の舷窓及びスチームラジエーターなど生産、各造船所に納入

1951年大和(ダイワ) 重工株式会社

再評価積立金資本組入れにより貸本金1,650万円とし、大和(ダイワ) 重工株式会社と改称(現社名)

1953年

田中恭造取締役会長に、田中隆平取締役社長にそれぞれ就任

風呂釜のホーロー引きを開発•生産

1954年

観音工場を閉鎖し、本社工場に吸収
船舶用仕切り弁、G型弁、L型弁のJIS規格の表示許可を受け、初めて自社ブランド「DAIWA」の製品が産業界に出る

1955年

船舶用パルブ、陸用バルブ、バタフライバルブなど弁類の製作開始

1957年

社内新聞創刊

1959年

1月から第1次、第2次の設備拡充
さらに鋳造設備の近代化・生産拡大・技術水準の向上を目的に第3次合理化計画を実施
11月に資本金6600万円に増資

1960年〜
1960年

通産省より大型機開発の補助金を受け、大型プレーナー・ミーリング複合機の製作に着手(国産最大仕様)。
翌年9月に自社ブランドの大型プレーナー完成。

1961年

大和重工技術陣の総力をあげて取り組んだ自社ブランドの大型プレーナー完成。業界デビューを果たす

資本金1億8,750万円に増資
株式を東京証券取引所市場第二部及び広島証券取引所に上場

1962年

国際工作機械見本市にDAIWAプレーナー出品、以後18年間で62台の納入実績を残した

吉田工場新設。鍋・釜・風呂釜など伝統的な製品の生産拠点となる
関東地区特約店を対象に関東丸広会、後の大和会を結成

1963年

熊本工場新設。良質鋳型の増産と高級鋳鉄の製造を行った

1965年

「ダイワバス」日本住宅公団の指定商品となる。

1966年

熊本工場を閉鎖し、本社工場に吸収
インドへ大型プレーナー初輸出

1967年

湿式ホーローから乾式ホーローへの移行(ブランドストーリーへ

1970年創立50周年記念式典

(創立50周年記念式典)

1971年

DAIWA創刊

スラブ皮削機 新日本製鉄と共同研究 7か国で特許登録

1972年

NC工作機械 第一号完成

Vプロセス鋳造ライン(1号)自社開発を開始。
本社ホーロー加工設備を吉田工場に移設し、一貫体制を確立

1973年

大和プレーナー新機種「プログラム制御プラノミラー」

吉田工場厚生棟完成 工場の規模が拡大、人員も300名へ増大

1976年

この頃の本社工場と吉田工場(航空写真家  氏撮影)

1977年

増西春三、取締役社長に就任

1978年

資本準備金の一部を資本に組み入れ、資本金5億400万円とする
日本初の肘掛けやグリップ付きの風呂を発売、爆発的な実績を残す

1980年〜
1980年

東広島出張所を新設
フラン砂導入
金型装置設置
Vプロ装置設置

1983年

田中保昭、取締役社長に就任

1984年

カラーグラデーションのホーロー浴槽<アートシリーズ>発売

1986年

1985年のG5プラザ合意により急激な円高となり日本経済は円高不況に陥る。
多くの社員が広島の他企業に出向にでる。

1987年

高級鋳物ホーロー浴槽<翡翠シリーズ>発売

大羽釜を広島東照宮に奉納

1988年

国内最大級のコアノックマシン据府稼働(本社鋳物工楊) 吉田工場にホーロー焼成炉完成

1990年

本社社屋に広告塔完成
創立70周年を機に広島市西区商工センターに広島営業所を新設、同時にショールーム(バスストップ)を新設
創立70周年記念式典
独身寮完成

世界一の鋳鉄製大羽釜を製作
ギネスブックに申請

1992年

食のフェスティバルに大羽釜を展示

前年から開発を進めてきた戸建て住宅用ユニットバス発売

1993年

自社製APC付き5面加工機本格稼働(造機工場)

1994年

鋳物ホーロー浴槽TBタイプに新機種加わる

1995年

阪神淡路大震災発生
何か被災者の方々の助けにならないかと、支援物資をもって現地に向かう
被災地での炊き出しではアルミ製羽釜と鉄製のかまくどが使用されていた

鋳物ホーロー浴槽、新機種R-130、RD-130発売

1996年

ダイワオリジナルアウトドアブランド 「湯牧民」(五右衛門風呂)発売(バリエーションは5タイプ)

1997年

DDパター発売開始

1998年

やまと風呂発売(4タイプ14アイテム)

小型かまどセット「かまどん」発売
(平成12年第7回ひろしまグッドデザイン賞大賞受賞)

2000年〜
2001年

移動かまど誕生

2002年

第24回西条ふるさと祭りで大羽釜が活躍(5000人分の豚汁でき上がり)

2003年

ISO(国際標準化機構)9001:2000認証取得。

平成15年(2003年)第9回の湯牧民露天デラックスセット(奨励賞)

2004年

新潟中越地震被災者を「稼働かまど」で支援

ダイワ移動かまどが「第10回ひろしまグッドデザイン賞」(広島市主催)奨励賞を受賞

2007年

JR可部駅西口広場に可部の鋳物づくりの歴史の象微モニュメントとして、大和重工の五右衛門風呂と大羽釜が設置された

2008年

本社鋳造工場に25トン電気炉2基設置・稼働

2010年〜
2011年

東日本大震災 炊き出し

CASTIEシリーズ発売

2013年

TOTOから浴槽機種引継ぎ 国内で唯一のホーロー浴槽メーカーに

2016年

ひろしまフードスタジアム広島大牡蠣祭り・冬の陣「1万人の巨大牡蠣鍋」で移動かまどが活躍。

2017年

中四国初 大型炉体移動式熱処理炉(焼鈍炉)導入

2019年

田中保昭取締役会長に、田中宏典代表取締役社長に就任。

ありがとう100周年